「きょうのば」は、バンクーバー(カナダ)で、自己の成長・前向きな行動を支援する、ワークショップ(研修)の企画・運営を行っています。

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自分らしい人生を、カタチにしていく力を身につける「きょうのば」
カナダのバンクーバーで学ぶ、気づく、考える。そして、じっくり「成長」していく。人生の変わり目、本番を迎えらているあなたの可能性を、全力で応援します。
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溝口 寛のコラム
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2008.6.5
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自分らしさ(自分探し)について


 この「自分らしさ」という言葉は、目から伝わってくる字並びのバランスがよく、
耳から伝わってくる音的な感触もやわらかめて、そして多様化する価値感といった
時代の流れからわいてくる雰囲気にも微妙にマッチしていて、「自分らしく生きよう。」
「自分らしさを大切にしよう。」「あなたらしさを大切にする会社です。」
など
どちらかというとイメージ先行型で使われている言葉だと感じています。

では、「あなたにとっての自分らしさとは何ですか?」と質問されると
答えに詰まってしまう方がほとんどでないでしょうか?実際、私にもその明確な
言葉での回答がうかんできません。というかこの回答は、一生忠実には言語化できなさそうな
言葉だけど、暮らしの中でのある瞬間に、こんな行動が自分らしいと感じる時かな?
毎日、作りつづけているライフスタイルの中に、これが自分流の生き方、暮らし方かな?と
表現したり、感じていける感覚ではないのかな?と思っています。

また私自身の中では、自分らしさとは、自分の中で感じている側面の中でも
自分自身も心地いいと思っている側面で、それは人から言われた良さであったり
プライベートの時だけに出てくる気楽なところであったり、するのだけど、
もうちょっと外へ、公に自己表現していきたいと思っている自分の特徴、おもしろさ、
別の側面、行動、ライフスタイルなどととらえています。

 これまで生きてきた人生の中で経験してきた自分の姿は、すべてが自分ですが、
30代に差し掛かり、これまでの生き方をふり返り、死という存在も、なんとなく感じながら
この辺りの自分の側面、自分の持ち味と感じているところを、もう少しまわりの社会へ向けて
活かしていけたり、発信していけると、人生が活性化されて、おもしろくなっていくのでは?
という感情を抱いています。

こういうステップに入っていくには、現在の自分の中にどんな思いが強くなっていて、
どんな思いは、あまりこだわらなくてもいいと思うようになっているのか?自己の認識を再確認することが
大切で、その自分の思いの変化に寄り添いながら、試行錯誤の中からこれからの自分が求めているビジョンを
少しでも明確にしていく、世間では、この生きていく方向性、ビジョンを決めていくステップを「自分探し」
いうのでは?私の中では理解していました。

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 しかし、どうやらこの「自分探し」という言葉には、
「本当の自分っていったい何なんだろう〜?」と、人としての本質や根源といった
哲学、宗教、科学など、どんな側面から見ても、なかなか答えの出そうにないスケールでの
回答を探し求める意味で、理解されている言葉でもあるということを知りました。

養老孟司さんが「自分探しなんてやめろ、本当の自分なんてない。
自分探しをしてる自分がここにいるじゃないか!それが自分だ。」

と叫ばれているのも、この辺りの問いに対してのやり過ごし方を
悩まれている方へ伝えようとされているのかな?と勝手に想像しています。

 このような「自分探し」の意味の受け取り方の違いもあってか、インターネットで調べてみると、
自分探しという言葉にも、だいぶかげりが見えはじめ、現在では、自分創り(自分づくり)
いう言葉に変わってきていました。自己を確立するという言葉のやわらかめバージョンの
言葉といってもいいと思うのですが、現在の私には、まだピンとこない言葉です。

何はともあれ、自分探し、自分磨き、自分育成、自分軸、自分づくり、自己の確立と、
「これから自分はどのように生きていこうか?」「どんな生きる道を切りひらいていこうか?」
自分なりの生き方を模索しながら、自分の心が納得しながら、充実した毎日を生きていきたい。と
願う気持ちは、ひしひしと伝わってきます。

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 そこで、人は宗教や哲学、科学、心理学、精神世界へと生きることについての
いろんな意味を、その人の人生始まって以来、はじめて探求したりもするものですが、
そのようなことをひと回りした私自身としては、あまり深く探求すると、
深すぎて最終的には、わからなくなってくるな〜というのが、本当のところです。

頭の回路が、そこまでまわっていかないという事実もあります。またそこまで深い
ところまで理解しなくてもいいのかな〜という気持ちもあります。そして、何よりも
毎日の食事や家族との会話、仕事での取り組みなど、今こうしてこの世に生きている
瞬間を感じながら、少しでもこの世に貢献(社会貢献)ができて、生きている間にやりたいな〜と
願っていることが、それなりに経験できれば、それでいいのでは?と思ったりもします。

生きていく方向性に悩み、生きるとは?人生とは?ということを深く深く考えて
その意味を追求していけば行くほど、本当は、今がどんな状況であれ、今ここにある命を
大切にしながら、自分のビジョンにむけて、毎日の暮らしを充実したものにしていこうと心がけ、
生きていくことが一番大事なことなのでは?
というところに、私の場合は、落ち着いてくるような気がします。

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 このような文章を書くきっかけになったのは、私のお気に入りの番組
「宿坊 ココロとカラダ満つる旅」(NHK)からのことでした。

今回は、ロック歌手の土屋アンナさんが、日本三大霊場の一つに数え上げられる
恐山(青森県)の恐山菩提寺の宿坊に宿泊された回だったのですが、そこで土屋さんを
迎えられたのは、院代、南 直哉(曹洞宗)さんという、一本背筋の通った
大きくて迫力もありながら、凛とした繊細さも感じられる僧侶の姿でした。
テレビを見ているこちら側が、背筋を伸ばすぐらいの趣きが伝わってきました。

そこで南さんは、「これは、本当の自分じゃないのでは?と思う時があります。だったら本当の自分って
何なんだろう?でもそんなこと分かるわけない、だってその答えも、この自分の脳が、答えを出そうと
していることなんだから。ある時は答えがAになって、ある時は答えがBになる。」と自問自答されていた
土屋さんへ、このようなことを話されていました。

 人が「本当の自分はいったい何だろう?」と考えることは、
それ自体は大事なことで、その疑問は悩みに値する問いだけど、
ただ、取り扱いを間違うと、この疑問は非常に危ない。

つまり本当の自分がどこかにあるはずだ。という発想で探すと、
矛盾があらわれてきて、上手くひとつの答えが出せない。
この問いは、考えることに意味はあることだけど、
答えをだすことには、たぶん意味がない。


この最後の2行がとても印象に残りました。
問いの中にも、ひとつの答えをあえて出すことのない問いが
あってもいいことなんですね。

素粒子物理学で、ものの極小単位のもうひとつ小さなところまで仮説を立てて、
調べているけど、ものの起源になっているものまでは、どうしてもたどり着かない。
「最終的なものの起源、構成要素って何?」という疑問に似ているような気もします。

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 ということで、「自分らしさ」というものも、自分の思いや興味、憧れなど
これまでの自分の経験や記憶の中から、見つけていこうとする姿勢自体は大切なことだけど、
言語で明確な文章をだすところまで、問いつめてなくてもいいことなのでしょうか。

自分の可能性は、自分と自分のまわりの社会との関係の中で高めていくことなんだ
という言葉もありますが、自分らしさについても、そういうところが、どうやらありそうですね。
自分の内側だけでなく、ある人との出会いや縁、時代の流れなど、まわりとの関係の中で
「こんな自分らしさも、自分で表現できるんだ?」と気づいていけると、生きていく世界や視野も、
広げていけそうですね。

このように、人生や生き方のことでわからなくなったな〜と感じる時は、
私の場合は、美空ひばりさんのこの曲「人生一路」を聴いて、
心をスッキリさせて寝るようにしています。ではどうぞ。



●参考リンク

恐山あれこれ日記(南 直哉さんのブログ)
茂木健一郎のクオリア日記 南 直哉さんの対談(MP3)

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